「30年前を想う」
こんにちは。とても寒い毎日ですが、お元気でお過ごしでしょうか。
さて、今日は1月17日、多くのテレビでも特集が組まれているように、阪神淡路大震災から30年という日ですね。本当に多くの方が被災され、これまで考えたことのないような災害を、初めてテレビで拝見した日でもあります。被災された皆様を想うと今でも心が痛みます。多くの方のご冥福をお祈り申し上げます。
30年前の今日、あの高速道路が倒れた映像や次第に広がる火災の様子は、これまで当たり前に思っていた生活を一変させるような衝撃を受けました。私は九州・熊本に住む高校生でしたが、自分の無力さを感じ、そこで生活をされている皆様を想うと、涙が自然にこぼれました。私は、新聞部に所属し、部長として、学校や地域、生徒さんの様子を広く伝えることに全力で取り組んでおりましたので、テレビや新聞から伝え聞くこの様子に、自分に出来ることは何かと考え、広く皆様に現状を訴えることが出来るような仕事として、将来は新聞記者になろうと志したものでした。
大学生になり、東京の大学に進学し、寮生活を始めました。その寮生活で出会ったのが、大学4年間をかけて熱心に取り組んだボランティア活動でした。その活動の中で、最初に取り組んだのは、阪神淡路大震災の震災遺児たちの心のケアのための施設の建設を目指す学生募金でした。街頭に立ち、1円でもその募金箱に入るお金の重みを感じ、彼らの為に声を枯らして呼びかけました。実際に、震災から間もない神戸に行き、ご家庭にお話しを聞きに行きました。私自身が暮らす東京の寮も、同じような成り立ちで建設され、直接的な体験は違えど、分かる部分もあるのではないかと、全身全霊でお話しに耳を傾けました。また、子どもたちにも安心して遊べる場を作りたいと、お邪魔したたくさんのご家庭に声を掛け、ほんの少しの時間でも、誰かと安心して過ごせるイベントをみんなで作り上げました。あの時は上手にお話し出来ませんでしたが、今も、あの頃5歳だったあの子はもう35歳か、とそのご家族のご健康とご多幸をお祈りしております。
震災のような辛い経験のみならず、いつかはそれぞれがしっかりと歩き出さなくてはならない日が、それぞれの人生の中では当然起こります。
そんな時、一番近くに信頼できる誰かが居て、安心して戻れる場所があることがどれだけ幸せか、寮生活やボランティア活動等の中から、私は大学4年間を通して何度も実感したものでした。
今、私は、新聞記者の夢は破れてしまいましたが、その先にある大きな夢だった「誰もが安心して戻れる場所」を、この『のびのび館』で実現することが出来ました。
私の経験や、その中で関わった多くの方のご経験を通して教わったことから、お子様であれば自ら学ぶ楽しさを感じながらしっかりとひとりで歩いていける道筋を、お母様、お父様、もしかしたらおじいさま、おばあさまと一緒に、役割分担をしながら実現していきたいと思います。
もちろん、お父様、お母様としてのお困りごとも、お子様の成長を通じて一緒に実現したいと思いますし、大人の皆さまにも、安心して自ら学ぶことを楽しめるような場所を作って参ります。
広々としたこの場所で、のびのびと学んでみませんか。
ご来館お待ちしております。
のびのび館 館長 松浦 弓絵